ぼくの夏休み

夏休みになると、塾長は多忙な毎日です。

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藤井塾長:「夏休みに努力家になれると、どうなるか教えよう・・」

 

こんな感じで毎日指導していると、ふと思うことがあります。

ちょっと回想してみましょう・・・


 

30年くらい前の話です。

僕の田舎は滋賀でした。

そこまで田舎っていうわけではないけど、当時はまだまだ自然が残っていて、そこここに畑とかがあって、琵琶湖に注ぐ川が、あちこちに流れていました。

僕は、そんな膳所(「ぜぜ」と読みます)というところで高校まで過ごしました。

 

子供の頃の僕は、小学校の校長をしていたおじいちゃんが建てた家に住んでいた。

おじいちゃんは算数の教員をしていただけあって、たぶん図面なども自分で確認して建てたのだろうか、実に細かいところまで計算されていた。

部屋のひとつひとつに、「なんでこの部屋がここにあるのか」「どうしてここに物置があるのか」「なんでここに窓があるのか」「どうしてここは出っ張っているのか」など、全部それなりの理由があった。

直接教えられることはなかったけれど、日々の暮らしの中で、合理性を感じたりしていた。

なぜか二階建てではなくて、一階建ての平屋でそれほど広くなかったはずなのに、床の間に掛け軸のある和室があり、そこからこじんまりとした小さな庭園が見えるなど、風情がそれなりにあって、子供心ながら和風の趣を知らず知らずのうちに感じていた。

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おじいちゃんが建てたこの家には、10メートルくらいの縁側と、それに面した細長い庭があって、そこが僕と妹の遊び場だった。

途中で埋め立てて自転車置き場にしちゃったけど、庭の端っこにはちゃんと岩で囲んだ池があって鯉が飼われてて、そこにチョロチョロと水を流す蛇口も、うまいことコケや葉っぱや岩で隠す工夫がされていて、湧き水がこんこんと湧いているような造りにしてあった。

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当然、子供なので、そういった風情を感じるよりも、蛇口をひねっては水流をむちゃくちゃ強くしたり、葉っぱで船を作って池に浮かべてみたり、そんなことをしてよく遊んでいた。

夏になると、この池の周辺に生えているフキの葉っぱに、大量のバッタがいて、妹と一緒にバッタを捕まえて遊んだりもした。

遊んで1時間ほど経つのに、僕と妹は中腰のまま、さっきいた場所から1メートルも動いていないことも多々あって、おじいちゃんとかおばあちゃんに、よく呆れられたものだった。

 

東側には、1本の細い紅葉が植えられていて、何の拍子か、間違えてとまってしまったミンミンゼミなんかがいると、興奮しながら慎重に捕まえようとした。

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ちょうど目の前に、普通の家の6軒分くらいの敷地を持つ大きな家があって、そこの家は基本的に雑木林のようになっていてうっそうと茂っており、その中央に家があったので、僕らは家の住人に気づかれないようにしながら、こっそり門をくぐったり、塀を乗り越えたりしては、周囲の林のところでセミを捕まえたりしたものだった。

妹と「何をする?」「セミを捕ろう!」という幼稚な打ち合わせをして互いに頷きあっては、虫捕り網に虫かごを持って、呼び鈴も鳴らさずに勝手によその家に入ってセミを捕って帰ってくる、ということを毎日のように繰り返していた。

呼び鈴がちょっと高いところにあったのと、呼び鈴の近くにアシナガバチが巣を作っていて、子供ながらに「ここに長居しては危険だから、呼び鈴なんか鳴らさずに、素早く通ろう」「僕達は忍者だから、その気になれば誰にも気づかれないはず」という気持ちがあったからだ。それに、僕一人なら敷地の周囲に張り巡らされた塀を乗り越えることができたのだけれど、小さい妹にはこれが無理で、門を通っていくしかなかったこともあった。

もちろん、後日の井戸端会議で、「こないだ、くにちゃんがウチにセミを捕りに来てたよ」と母は知ることになるくらい、僕らの行動は近所に筒抜けだったのだけれども。

ちょっとした神社のようにたくさんの樹木がある家だったので、すごくセミが何種類もたくさんいて、大合唱どころか、すごくうるさかった。

でもセミの声がうるさすぎるせいか、だんだんと鳴き声があまり気にならなくなって、そんなふとした瞬間に、本当はうるさいはずなのに、妙にぽっかりとした静けさを感じたりもした。急に両耳を誰かにふさがれたような、そんな感じになる瞬間が大好きだった。僕はセミではなくて、そういう瞬間を捕まえに行っていたのかも知れない。

 

夕方になり、セミを捕って家に帰り、暗くなって庭で遊べなくなるくらい夜が更けても、まだ面白いことがあった。

夜になると、蚊取り線香を2つ、縁側の決められた場所に置く、という仕事があって、これが僕の任務になっていた。

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いかに1本のマッチで両方の蚊取り線香に器用に火をつけるか、というのは、今のマリオの難易度の高いステージをクリアするよりも、よほど手に汗握る一発勝負のことであって、いつも真剣に取り組んだものだった。

2つ目の蚊取り線香に取りかかり、そこに火がつくかつかないか、くらいの時が一番の正念場で、早くつけないとマッチを持つ指先を火傷してしまうし、でも1本のマッチだけで2つの蚊取り線香に火をつけたくて、毎日頑張っていた。

そんなだから、「くにひこ、蚊取り線香に火をつけてきて」と言われるのが待ち遠しくて、仕方なかった。

もちろん、蚊取り線香の匂いも大好きで、あの匂いをかぐと、一生懸命に火をつけていた子供の頃を、嗅覚として思い出したりする。

 

他にも、面白いことはあった。

近所に、ユタカという本名なのか、近所の人がつけたあだ名なのか、よくわからない名前の人が住んでいて、このユタカのおっちゃんがたいそう変わり者で、お盆の頃になると決まって、「もうすぐ祭やな?祭はいつからや??」と興奮して夕方以降に近所を訪問して回る、ということをしていたからだ。

今なら考えられないことだけど、当時の家は、夜22時を過ぎて寝る時間が近づくまでは鍵なんてかけていなかったから、近所の家は晩御飯時にユタカのおっちゃんの訪問を突然受けることになるわけで、少なからず迷惑がられていた。

うちのおじいちゃんとか親とかなんかも当然面倒くさがって、「ユタカが来たら、くにひこが話をしに玄関に行くんや」と、僕に面倒を押し付けたりした。

でも僕は、舌足らずだけど妙に人懐っこいこのユタカのおっちゃんがなぜだか結構好きで、「祭いつや?」「もうすぐー」「もうすぐって、いつや?」「明日じゃないけど、じきにー」「そうか、それは楽しみやなぁ」という短いやり取りが楽しみだった。

その時は気づいていなかったけど、今思い出すと、祭が近づいてきた時には「祭の時期が近づいてきた」という感覚よりも、「ユタカのおっちゃんが、そろそろ来るはずや・・」と訪問を期待するような、少しわくわくしながら過ごしていたような気がする。


 

こういう仕事をしていると、子供達に「夏休みの頑張りで、その人の人間の価値が変わってくるんや」と言いつつ指導する毎日だけれど、ふと「僕の過ごした夏休みとは違うなぁ」と思ったりする。

僕の夏休みとは、蛇口をひねって水遊びしたり、中腰になったままバッタを追いかけたり、アシナガバチのいる危険な門を突破してのセミ捕りだったり、マッチと蚊取り線香の匂いだったり、ユタカのおっちゃんとの会話だったりするからだ。

もちろん、通っていたのは県内トップの学校だったから、それなりに難しいことを学んでいて、たくさん宿題も出ていたはずなんだけど、そういう学習面での記憶は夏休みの思い出としてはほとんど残っていない。

子供の頃は、夏休みが終わって、学校が始まる2学期になって肌寒くなり、東側に植えられている紅葉の葉っぱが少しずつ散るのを、夕方に学校から帰ってきて縁側から眺めていると、1日が終わるような1年が終わるような、それが同時に訪れるなんてすごく寂しいような、そんな気持ちになっていたものだけれど、今感じる僕の夏休みは、まだ8月を迎えてすらいないのに、それに似た気持ちなのだ。

授業中の合間に、「蚊がいなくなるスプレー」をプッシュするたびに、便利な世の中になったなぁ・・と思いつつも、僕の夏休みの匂いじゃないな・・と感じて、ちょっと寂しくなり、そんなちょっとした感傷をさっさと忘れるためにも、授業に戻る毎日なのだ。

(おわり)

学力を足し算ではなく掛け算にするために

こんにちは。理塾です。

中学生は期末テストが返却され、個票に感想を書いている時期ですね。

高校生は期末テストがまだ続いている学校もあります。

そんなこんなで、土曜も日曜も、彼らの勉強を見たりしています。

テスト直前の彼らは、極めて視野が狭くなり、「明日のテストで悪い点数を回避する」ことしか考えていませんので、授業などの指導をしつつ、計画の立て方やスケジュール通りに進んでいるかを確認する毎日です。

 

理塾の生徒達は、皆、我が子のようなものですので、ここ3週間ほどは1日も休まず授業しています。

「塾が一番集中できて落ち着く」という彼らは、塾がお休みだと困ってしまうのですね。

だから、土日もテスト前は授業します。夏休みも、お盆も関係なく、毎日のように朝9時から夜22時まで授業します。

社員は土日完全週休2日制なので、土日は塾長一人で全てをこなさねばならず、今の時期は夏期講習の準備もあったりしますので、さすがにそろそろ疲れてきましたが、毎日やってくる生徒達のために陣頭指揮を執って頑張っています。

 

さて。

つい先日、中学3年生に理科を教えていたのですが、この時期の彼らは「イオン」「酸・アルカリ」について学習します。

簡単に言うと、原子には色々な種類があって、電子の数が余っていて落ち着きのない原子や、電子の数が足りなくて不安そうにしている原子があるのですが、これが水に溶けると、余っている電子を捨てたり、足りてない電子を補充したりして、それぞれ満足します。このように、本来持っている電子を捨てたり補充したり、そういうことをした勝手にした原子がイオンです。

そして、酸性というのは、水溶液中に水素イオン「H+」があることを言います。たくさんあればあるほど、強い酸性を示します。

アルカリ性というのは、水酸化物イオンがあることを言います。こちらは、「OH-」というイオン式になっていて、これが多ければ多いほど、強いアルカリ性になります。

 

授業でこういう話をすると、多くの生徒は「ふーん」と言って、覚えてくれます。

・水素イオン「H+」があると酸性

・水酸化物イオン「OH-」があるとアルカリ性

みたいなことをノートに書いて、覚えてくれるわけです。

だいたい、どこの学校でも学習塾でも、同じことを指導していることでしょう。

 

ただ、ここで終わらない生徒が毎年必ず1人はいます。

そういう生徒は、ハッキリとした特徴があって、こういう質問をぶつけてくるわけです。

「先生、アンモニアはアルカリ性だよね?ということは、水酸化物イオン「OH-」を含んでいるはずだよね?そして、アンモニアの化学式はNH3だよね?アンモニアはアルカリ性なのに、水酸化物イオン「OH-」がどこにも見当たらないけど、どうなっているの?」

「むしろ、アンモニアの化学式のNH3を見ると、「H+」をたくさん出しそうやから、アンモニアが酸性に見えてくるけど、どうなっているの?」と。

「たしかに!!」と思える、大変よい質問です。

こういう質問をぶつけてくる生徒がいると、教室全体の思考力がアップして、こちらも嬉しくなります。

 

これは難しいことを言っているのではなく、何を言っているのかは、理科のテストで平均点以上を取っている生徒なら、ほとんどの生徒がわかるはずの内容です。

でも、多くの生徒はこの質問の内容を理解できても、自分からこういう疑問が出てこない。90点を取る生徒であっても、こういう疑問が出てこない生徒も少なくありません。

 

その理由は、ちゃんと知識を活用していないからです。完璧に理解はしているけれど、暗記だけになってしまって、活用することができない。

90点を取って畝傍高校に合格する生徒も、こういう「知識の活用ができる」か、とりあえず「暗記で乗り越えてきた」か、それで大学進路は大きく変わります。

 

そして、ちょうど今の時期の高校1年生にも化学を教えていたのですが、この時期の彼らは「イオン結合」「共有結合」「荷電子」について学習します。

畝傍高校の生徒もおりますので、化学の指導をしました。

ただ、高校1年の化学は基礎内容の位置付けなのですが、「化学は本当に難しい」と言って悩み、理系を諦める生徒も少なくありません。

 

実は、高校1年で学習する化学の内容に、「非共有電子対」「配位結合」というものがあります。

非共有電子対というのは、共有結合をしている場合でも、全ての電子が隣の原子と共有されているわけではないよ、というものです。

配位結合というのは、共有するために差し出す電子を持っていない場合でも、一方から電子を提供してもらえれば、ほぼ共有結合と同じ感じの結合が作れちゃうよ、というものです。

そして、アンモニアである「NH3」は、非共有電子対を1つ持っています。

ここに、水素イオンである「H+」が配位結合を起こして、アンモニウムイオン「NH4-」になるのは、ほぼどの教科書にも載っています。

大抵の生徒は、ここで「難しいなぁ・・でもテストに出るから覚えないとなぁ」で終わります。

「NH3」+「H+」 → NH4+  (配位結合)

みたいなことをノートに書いて、覚えるわけです。

 

ただ、中3生のときに、「アンモニアはOH-がないのに、なぜアルカリ性なの?」という疑問を持っていた生徒は別で、「ちょっと待てよ、配位結合を起こした「H+」は、どこからやってきたんや?」とすぐ気づきます。

「H+」は酸性物質の原因になっているくらいだから、そこからやってきたと考えたいけど、それだとアルカリ性のアンモニアと酸性物質の中和反応になってしまって別条件になりそうだから、この場合は都合が悪い。

そして、ちょっと頭をひねってみて、電離しているくらいだから水溶液なわけだけど、水(H2O)から「H+」を取ってアンモニアが配位結合を起こしたとすれば、残りは「OH-」となってアルカリ性になるぞ・・・!ということに気づきます。

そして、これが正解なのです。

中3から持ち越してきた疑問を、このように真に理解した時の生徒の喜びは大変なもので、こういう時に生徒は「勉強って面白い!」と感じてくれます。

さらにもっと踏み込む生徒の場合は、こんな疑問を感じたりします。

「あれ?水(H2O)は、この反応でアンモニアに「H+」を与えて「NH4」にしたぞ。電離して「H+」を出すのは酸だったはず。じゃあ、これって、「H+」を出してるから、水って酸ってことなんじゃないの?なんか、よくわからなくなってきたぞ・・」と。

話が難しくなってきたので詳細は化学の参考書に譲りますが、「水は中性であって酸なわけがない」という常識にとらわれないこういう疑問は重要で、実際にこの場合の水(H2O)は酸で正解だったりします。

純粋な水であっても、「水が酸性」だなんて、あまり信じられないですよね。でも、事実そうなんです。

そして、こういう疑問と解決力は、知識の暗記で勉強をこなしてきた生徒とは、決定的な学力を生み出します。

そりゃそうです。

単に「非共有電子対」「配位結合」などを知識として理解してテストに臨み、化学で90点を取って理系に進んだ生徒よりも、こういう疑問を解決することで、化学って面白いと感じて理系に進んだ生徒の方が、いろんな意味で今後伸びていく、というのは、誰もが納得できる話でしょう。

こういう思考を抱きながら授業をしているので、指導するこちら側としては、なんとかしてこういう生徒になるよう育てていかないとな・・と痛感します。

 

中3生と高1生と学年はひとつ違うのですが、このように似た範囲を授業していて、いつも感じることがあります。

それは、「知識を暗記して乗り越えてきた生徒は、どこかで限界がくる」「疑問を感じながら解決してきた生徒は、まだまだ伸びる」というものです。

数値にするのもおかしな話ですが、その差は歴然で、生徒の学力としては、40と10000くらいの違いがあると感じます。「40」と「10000」なんて、そんな差があるわけない、と、大げさに思われるかも知れませんが、10を4回分の、足し算と掛け算の差くらい、学力差として決定的に違います。

よくよく考えれば、これは当たり前のことで、知識を詰め込んでいってもどこかで飽きと限界がきますが、何故なのだろうという疑問を抱いていると、その疑問を解決した時に理解する喜びを得られることもあって、さらに深く学んでいくからでしょう。

タイトルにもある通り、知識の暗記は学力の足し算ですが、疑問を抱けるようになると掛け算になります。

 

医学部なんかはこの典型で、努力したら誰でもなれる、というものではありません。

塾長は、父方の祖父が医者だったので、子供の頃はそれなりに「できる子」扱いされていた時期もあって、医者になれるならなって欲しいと多少期待されて育ちましたが、そりゃもう普通に無理でした。

「全国の都道府県と県庁所在地が幼稚園時代から全部言える」とかそういう知識ではなく、「なんで氷は水に浮かぶのかすごい不思議(普通は固体は液体に沈むため)」と誰に教わるわけでもなく疑問を生み出し、自分で解決に向けて試行錯誤できるような、そんな能力が必要なのです。

よく、頭の出来が違う、という表現が用いられますが、持って生まれた頭脳よりも、得られた知識からどのくらい思考を発展させる癖がついているか、が重要だと感じます。

こういう頭の使い方をしている人だけが集う世界なので、努力でなんとかなると思ったら大間違いだよ、ということです。

 

そしてこういう力は、いくら授業で勉強を教えても、養われるというものではありません。

むしろ、授業の際の雑談や会話から、何気なく問題提起して考えさせることで、少しずつ培っていくものだと塾長は考えています。

 

さて。話が長くなりました。

まとめます。

 

理塾は、努力家を養成する学習塾です。

ですから、「毎日黙々と頑張り、少しずつ努力量を増やした結果、実力をつける」ということを第一に考えています。

ここまでは、誰もがやれるはずだし、そうなって欲しいと考えており、理塾の生徒達はそれぞれ程度の差はあれど、向かっていってくれる子が多いです。

受験生でもないのに、お母さんと「月曜から土曜まで毎日塾に来させてください」と協力体制を作ることも多いのですが、お母さんがしっかりしていて、ちゃんと遅刻せず通塾させることができた場合は、成績が上がるタイミングは生徒それぞれ差はあれど、着実に実力はついていっているように思います。

何よりも、「コツコツ努力することの大切さ」を習慣として身につけた彼らは、社会に出た時に、ちゃんと仕事をして信頼され必要とされるはずです。

 

ただ、それだけではなく、本当の意味で考え、知識を活用できるようになってくれれば、と思って、色々な話をしています。

授業では、どうしても「重要ポイントの解説」などに時間を割いてしまうので、自習の時にたくさん話をすることで、こういう機会を設けていきたいと考えているのです。これが第二のこだわりです。

 

このように、努力によって知識を足し算するだけではなく、疑問と興味を抱き、それが解決した時のわかる喜びを感じて、学力を掛け算にしていきたいとも考えています。

 

どちらも、「次のテストの点数アップ」という観点からは、少し離れた内容です。

こういう点にこだわって授業をしているため、毎日頑張ってやっているつもりなのですが、理塾の場合は正直申し上げて効果が出るまでに少し時間がかかります。

ただ、「テストの点数より大事なものを指導している」という自負とこだわりを持って指導しています。

ですので、どのお母さんにも、「すぐ成績が上がるというものではなく、半年から1年くらいの長い目で見てやってくれませんか」とお願いすることが多いです。

 

ただ、即効性は高くないものの、社会に出たら、どちらも必ず役に立つと信じて、塾長は生徒達を指導しています。

思春期の彼らは、いい加減なことをすることもあるので、そういう時は叱ったり雷を落とすこともあるのですが、彼らが社会に出た時に必要とされる人材になってくれたら、という思いで指導しています。

このブログを読んで、少し共感されたりした場合は、理塾の門を叩いてみてください。

ほぼ満席に近い状態が続いておりますので、昨年のように「募集停止」になる日も近そうです。

なるべくお早めにお願いします。