塾長ブログ

理塾で大事にしている勉強法

投稿日:2017年10月21日

こんにちは、理塾です。

中間テストが終わりましたが、ちゃんと計画通りに進められましたか?

テストというものは点数に着目しがちですが、決してそれだけにこだわってはいけません。

今回は一喜一憂しがちな、テストについての話をします。

 

基本的なことですが、テストは点数がすべてなのではありません。単なる要素のひとつです。

そして、テスト勉強というのは「テスト前に詰め込む」というのは間違いです。

去年の過去問を重視したり、出やすいポイントをおさえるのも、実は薄っぺらでしかない勉強です。

 

もちろん、テスト前日などに一番熱が入るのは当然といえば当然なのですが、義務教育中である中学生において習得すべきなのは「やるべきことに対して努力する習慣」のはずです。

ですから、日頃からコツコツと少しずつでも進められるように指導するのが我々学習塾の人間のやるべきことであり、そのための道具として必要なのが「わかりやすく授業をして伝えること」なのです。

決して、「わかりやすい授業だから、ちょちょっと勉強するだけで、すぐ高得点が取れる」という指導が最重要というわけではない。

去年の過去問や出やすいところを勉強したところで、(傾向と対策などを自分で考えて用意したなら素晴らしいですが、誰かが作って与えられたものを単に覚えただけならば)点数は上がるかも知れませんが、実力としては何一つ身についていないといえます。

そもそも、そういうことをやって実力なしに高得点をとっても、この先の人生のどこかで表面と実力の乖離に気づいて苦労するだけです。

思春期の大事な時期に、そういう過ごし方をすべきではありません。

 

中高生において最も重要なのは、コツコツと努力する人間を育むことです。

これは社会に出てみるとよくわかることですが、世の中で必要とされていたり、周囲から信用される人というのは、やるべきことから逃げずに向き合い、日々コツコツと頑張れる人です。

もっと言えば、しょうもないことに対しても、情熱的に取り組める人なら最高です。

そして、そういう人たちの中で、さらに高度な技術を持っていたり特殊技能があると、さらに評価は高くなるのです。

決して、必要そうなことだけ短時間にちょちょっと作業して効率よく行動する人ではない。

それは最低限のことをこなしている姿であって、それほどたいしたことでもなく、褒められたことでもありません。

端的に言うなら、そんな仕事の仕方は、アルバイト感覚でしかなく、責任ある仕事の姿ではありません。

 

もちろん、資格試験などは、出題されやすい範囲をちょちょっと覚えて、効率よく学習して取得することも可能です。

ただ、人間を相手にする社会での仕事においては、そういう小手先の話なんて、通用しません。

誠実さであったり情熱さというものが、かなり重要になるわけです。

多くのビジネス誌において、いろいろな仕事で活躍されている人が紹介されていますが、彼らに共通しているのは、やるべきことにまっすぐ向き合い、創意工夫をしながら、情熱的に取り組んでいるということです。

決して、やっている仕事内容が誰にも真似できないのではなくて、誰でもできる仕事だったりするけど取り組み方がすごいのです。

これだけおさえておけば、ちょちょっと時間をかけるだけで、評価が高くなる!なんて舐めたことを考えてる人は誰一人としていないですし、そういう記事や雑誌もないわけです。

自分たちの考えがブレず強みを生かせる範囲で、クライアントやお客さんが必要としているものを満たそうと考え、失敗も経験しながら色々と努力して、可能なら情熱的に向き合っていくのが、本来の仕事の姿なんですね。

ですから、生徒達には、社会に出ても活躍できるように、まずは努力家になって欲しいと理塾では考えます。

 

さて。

今は共働きの家庭も増えてきており、中高生の我が子がどんな感じで毎日勉強しているのか、忙しくてあまりわかっていない保護者の方も少なくないように感じる今日この頃です。

1億総活躍が叫ばれる昨今ですから、それはそれで仕方のないことなのですが、忙しくて我が子の学習状況についてあまり知らない結果、点数だけを重視して見て判断されるご家庭が増えているように感じます。

もちろん、点数も大事です。でも、他もちゃんと見てあげたうえで、点数も判断してあげて欲しいのです。

 

子供達というのは敏感なものですから、「点数だけを見られている」と感じると、テスト直前の勉強だけは頑張って、点数だけは取ろうとします。

ただ、点数を取るのは良いことですが、そのための行動が褒められたものではない生徒が、少なからずいるのが残念に思う次第です。

そもそも、テスト結果というものは、どんな子供であっても上下もすれば、好調不調もあるものです。

そういう時に、点数を見て判断するのではなく、「テストに向かう姿勢や努力量」を見て判断してあげるのが、理塾で大事にしているポイントです。

そうすることで、彼らは良いことも悪いことも含めて、自分をちゃんと見て判断してくれていると感じますし、良いことも悪いことも素直に自分の思っていることを話してくれるようになるからです。

 

もちろん、受験もあるわけだから「結果が全てだ」という考え方の人もいらっしゃるでしょう。

しかし、思春期である彼らに「結果が全て」「点数が全て」というのを突きつけるのは、塾長は早いと思っていますし、本来の親の姿でもないと思います。

結果が求められるのは、社会に出てからでも遅くはありませんし、そもそも結果を出すための環境整備もせずに結果を求めても、それは幼稚な精神論です。

まずは周囲のライバルと比べても不利と感じることのない勉強時間の確保を家庭として作ってあげる。次にそれなりの力量を持った指導者(費用)の確保をしてあげる。

これらをせずに、お子さんや学習塾に結果を求められるのは間違っています。

 

そもそも、お子さんが、何かしらの習い事をしていて、その発表会があったとして、保護者の方は何を見に行くのでしょう?

発表会という名前からしても、その場では普段の練習の成果を出す場所のはずですよね。

まさに結果を出すべき場面のはず。

じゃあ現実に、多くの保護者は「わが子がどれほどの結果を出しているか」を見に行くのでしょうか?

子供が演技で失敗したら、舌打ちしたり、結果を出していないと嘆くのが親の姿なのでしょうか?

指導者やコーチを捕まえて、「結果に満足していない」とクレームをつけるのが親の姿なのでしょうか?

いろんな考え方があっていいと思いますが、塾長が考える親の姿というのは、「本番で失敗していたとしても、精いっぱい頑張っている子供の姿」を見に行くのが親だと思います。

 

こう書くと納得される方が多いですし、頭ではわかっているのですが、実際の行動だと異なることをされる方もいらっしゃるのが残念です。

そもそも、親というものは、子供が生まれた時は「生まれてくれてありがとう」と、心から感謝するものです。

そして、成長する過程で、「この子が希望する道で、不幸を感じることなく、健康で幸せでいてほしい」と、純粋にそれだけを願うものです。

ところが、いつしか「〇〇ができて偉いね」と子供を褒めるようになります。

そしてここが問題なのですが、〇〇に入るのは、単なる保護者の要望であったりします。

生まれた時には存在だけでありがたかったはずなのに、いつしか保護者が考える像を満たすと満足するという、異なる感情を持つことも少なくありません。

本当に難しいですよね。でも、子供と接するうえで、子供がいるのが当たり前になった結果、徐々に感情が変わってきていませんか?というのは、時折ですが問いたいところです。

母の日や父の日に、拙い文字で感謝の言葉を述べられると、どんな下手くそな文字でも愛着がわくでしょうし、どんな下手くそな文章であっても温かみがあるでしょう。

テストの点数などで悪い点数を取った時には、つい怒りたくなることもあるのは承知の上で言いたいのですが、そういう時こそ、たまには昔の気持ちを思い出して、子供と接してあげてほしいのです。きっと、親を見る目が変わると思うのですが、いかがでしょうか。

 

話が逸れました。

例えば高校受験なども、そりゃ結果が求められるわけですが、受験に絶対などはなく、どんなに頑張っていても当日の体調などもあって不合格になることもあります。

そういう時に、「やってきたことは無駄だったんだな」と感じて欲しくない。

そして、まだまだこれから先、挽回のチャンスはたくさんあるわけです。

こういうこともあって、思春期である中高生には、まず努力の大切さを知り、継続することの大変さにもがきながら、それを実行できるようになって欲しいと理塾では考えています。

それができるようになれば、結果は自ずとついてくるもの。

 

いろいろと書き連ねましたが、もし共感される方がいらっしゃれば、理塾の門を叩いてみてください。

座席数に限りがあり、タイミングによってはお断りすることも多いのですが、なるべく多くの努力家を育てていきたいと考えています。