本当の賢さについて!!
こんにちは、理塾です。
中間テストの時期ですが、勉強していますか?
今回は、「賢さと愚かさ」について、考えてみたいと思います。ぜひご一読ください。
さて、まず最初に、ムヒカ氏という方をご存知でしょうか。
少し前の話になりますが、世界で最も貧しい大統領として有名になりました。
ウルグアイの元大統領です。
このムヒカ氏の発言で注目されているもののひとつに、「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があって、いくらあっても満足できない人のことだ」というものがあります。
この言葉の意味は、だいたいわかりますよね。
では、この発言をちゃんと把握したと言えますか?
単に貧乏な人の定義をしているだけではないですよ。
貧乏な人の話をすることによって、本当の豊かさというのは、こういうことだと思うんだ・・という話をしているのです。
答えを書きますと、この発言で言いたいことは、「お金を含む物で豊かかどうかを考えているとしたら、それは豊かさでもなんでもなく、心の豊かさこそ本当に価値のあるものだ」ということです。
そして、「心の豊かさを満たすための手段として、お金を含む物があるのであって、お金が目的になっては貧しい考え方の人だと言えるんだよ」ということも言えます。
同じ考え方をする人は、大昔の中国にも居ました。
老子という人です。
この人の発言に「足るを知れ」「足るを知る者は富む」というものがありますが、これは「人間の欲望にはきりがないが、身の程を知っており満足できる者は、心が富んで豊かだ」という意味です。
ほぼ同じことを言っているわけですね。
話を身の回りの日本の話題に戻すと、「年収1000万円でも、家計が赤字」という家庭があるそうです。
一方で、「年収300万円でも、貯蓄できる」という家庭もあるそうです。
そりゃ年収も多い方がいいに決まっているのですが、年収の多い少ないよりも大切なものがあるという話ですよね。
そしてそれは「現状に満足できているか」であり、かつ「年収が目的になっては悲しいよね」ということなのかも知れません。
ここまでは、誰でも比較的理解しやすい話でしょう。
では、この「貧しさと豊かさ」を、勉強の話に転換すると、どういうことが言えるかわかりますか?
これは生徒諸君にぜひ聞いてもらいたい話なのですが、世の中の教訓や経験則というものは、だいたい他の場面であっても転用できます。
この場合であれば、「貧しさと豊かさ」というお金の話から感じた大切なものというのは、学生である君達の勉強面の話としても、学ぶところがあるはずだ、ということです。
そして、頭が良いというのは、「テストの点数が良い」という人ではなく、こういうことを考えられることを指します。ぜひ、そうなって欲しいと思って、この話題を振っているわけです。
いきなりは難しいでしょうから、少しヒントをあげましょう。
君達、生徒諸君は、勉強をしていますよね。では、勉強するのが目的なのでしょうか。
これで、だいたいの人は気づいたと思いますが、勉強することは大切なことではあるものの、目的ではありません。
テストの点数で高得点を取るのも、畝傍高校や高田高校などに進学するのも、目的ではありません。
君達が「将来、やりたいことを実現したい」という夢を叶えるための手段なわけです。
そして、先ほどのお金の話では、「目に見えやすいお金や物がないからと言って貧しいわけではなく、それで満足できるかどうかが大切」という話でしたよね。
要するに、「お金は手段であって目的ではなく、満足するのが目的で、お金はそれを叶える手段でしかないから、そこにこだわっていてはいけないよ」ということにまとめられます。
ですから、これを勉強の話に転換するならば、「手段であるはずの部分にこだわって、目的を見失っているのであれば、それは何点取ろうが、どんな進学校に通おうが、賢くはない」ということが言えるわけです。
自分の満足するレベルを知るのも、自分の将来やりたいことを見つけるのも、共通点は「自分を知る」ということです。
自分を知るということは、自分自身でしかできず、誰かに教わるものではない。
ただ、それを抜きにして頑張ったとしても、結果を出したとしても、それはまだまだ賢いとはいえないのです。
わかりますか?
テストの点数や、合格した高校の名前というものは、非常に伝えやすいものです。
しかし、それは手段でしかない。
あまり偏差値の高くない高校に進学したとしても、それが自分の夢を実現するために最適の選択肢であったのなら、それは大変賢いことなのです。
一方で、何の目標もなく、なんとなく勉強を熱心にして高得点を取ったところで、それは学力的には賢いが、人生の生き方としては、まだまだ不十分で愚かだといえるのです。
もちろん、君達はまだ未成年ですから、社会のこともわからず、どういう人生を歩んでよいのかわからないことも多いでしょう。
そして思春期ですから、いろんなことに興味を持ってしまい、選択肢が多すぎて迷うこともあるでしょう。
それはそれで構わない。
大いに悩み、いろんな失敗をして学び、人生経験を豊かにしていけばいいのです。
ただ、学部と学科を決めて進学し、大学生になっても「将来したいことがない」のであれば、「勉強はできても、君は自分自身の事を何一つわかっていないんじゃないの?」と思います。
そして、こういう学生が本当に多い。
就職試験で苦労する学生のほとんどは、ここに気づいていません。
勉強はできても、自分自身についてわかっておらず、ましてや自分の強みを語れない人なんて魅力はないし、採用されるわけもないのですが、そのことに自分で気づけない。
そして面接では、「こんなことを勉強してきました」「こんなスキルを持っています」だけに終始する学生が多い。
目的と手段をはき違え、就職という最終段階になっても、まだ手段の話をしちゃっているのです。
ここまでこの記事を読んだ方なら、就職という段階なのに、今までやってきた勉強という手段の話しかできない学生が、賢くないことはわかりますよね。
むしろ、勉強はできても、残念ながら「愚か」というしかありません。
こういうことに中高生の時期に触れたりして、考えることを身につけるって、すごく大事なことだと思います。
自分を知り、それを基にやるべきことを構築したり考える能力を磨くことができれば、将来において不安要素はあまりないと思うのですが、勉強は教えてももっと大事なことを教える学習塾は残念ながら多くないようです。
もちろん理塾でも、まだまだ完璧なわけではありません。
ただ、こういった部分もテストの点を取るのと同等以上に大切と感じているので、日々模索しながら、勉強を指導しています。
共感されたのなら、ぜひ理塾の門を叩いてみてください。
中途半端な気持ちの方はお断りすることも少なくありませんが、ご縁は大切にしたいなと思っています。