ぼくの夏休み
夏休みになると、塾長は多忙な毎日です。
藤井塾長:「夏休みに努力家になれると、どうなるか教えよう・・」
こんな感じで毎日指導していると、ふと思うことがあります。
ちょっと回想してみましょう・・・
20年以上前の話です。
僕の田舎は滋賀でした。
そこまで田舎っていうわけではないけど、当時はまだまだ自然が残っていて、そこここに畑とかがあって、琵琶湖に注ぐ川が、あちこちに流れていました。
僕は、そんな膳所(「ぜぜ」と読みます)というところで高校まで過ごしました。
子供の頃の僕は、小学校の校長をしていたおじいちゃんが建てた家に住んでいた。
おじいちゃんは算数の教員をしていただけあって、たぶん図面なども自分で確認して建てたのだろうか、実に細かいところまで計算されていた。
部屋のひとつひとつに、「なんでこの部屋がここにあるのか」「どうしてここに物置があるのか」「なんでここに窓があるのか」「どうしてここは出っ張っているのか」など、全部それなりの理由があった。
直接教えられることはなかったけれど、日々の暮らしの中で、合理性を感じたりしていた。
なぜか二階建てではなくて、一階建ての平屋でそれほど広くなかったはずなのに、床の間に掛け軸のある和室があり、そこからこじんまりとした小さな庭園が見えるなど、風情がそれなりにあって、子供心ながら和風の趣を知らず知らずのうちに感じていた。
おじいちゃんが建てたこの家には、10メートルくらいの縁側と、それに面した細長い庭があって、そこが僕と妹の遊び場だった。
途中で埋め立てて自転車置き場にしちゃったけど、庭の端っこにはちゃんと岩で囲んだ池があって鯉が飼われてて、そこにチョロチョロと水を流す蛇口も、うまいことコケや葉っぱや岩で隠す工夫がされていて、湧き水がこんこんと湧いているような造りにしてあった。
当然、子供なので、そういった風情を感じるよりも、蛇口をひねっては水流をむちゃくちゃ強くしたり、葉っぱで船を作って池に浮かべてみたり、そんなことをしてよく遊んでいた。
夏になると、この池の周辺に生えているフキの葉っぱに、大量のバッタがいて、妹と一緒にバッタを捕まえて遊んだりもした。
遊んで1時間ほど経つのに、僕と妹は中腰のまま、さっきいた場所から1メートルも動いていないことも多々あって、おじいちゃんとかおばあちゃんに、よく呆れられたものだった。
東側には、1本の細い紅葉が植えられていて、何の拍子か、間違えてとまってしまったミンミンゼミなんかがいると、興奮しながら慎重に捕まえようとした。
ちょうど目の前に、普通の家の6軒分くらいの敷地を持つ大きな家があって、そこの家は基本的に雑木林のようになっていてうっそうと茂っており、その中央に家があったので、僕らは家の住人に気づかれないようにしながら、こっそり門をくぐったり、塀を乗り越えたりしては、周囲の林のところでセミを捕まえたりしたものだった。
妹と「何をする?」「セミを捕ろう!」という幼稚な打ち合わせをして互いに頷きあっては、虫捕り網に虫かごを持って、呼び鈴も鳴らさずに勝手によその家に入ってセミを捕って帰ってくる、ということを毎日のように繰り返していた。
呼び鈴がちょっと高いところにあったのと、呼び鈴の近くにアシナガバチが巣を作っていて、子供ながらに「ここに長居しては危険だから、呼び鈴なんか鳴らさずに、素早く通ろう」「僕達は忍者だから、その気になれば誰にも気づかれないはず」という気持ちがあったからだ。それに、僕一人なら敷地の周囲に張り巡らされた塀を乗り越えることができたのだけれど、小さい妹にはこれが無理で、門を通っていくしかなかったこともあった。
もちろん、後日の井戸端会議で、「こないだ、くにちゃんがウチにセミを捕りに来てたよ」と母は知ることになるくらい、僕らの行動は近所に筒抜けだったのだけれども。
ちょっとした神社のようにたくさんの樹木がある家だったので、すごくセミが何種類もたくさんいて、大合唱どころか、すごくうるさかった。
でもセミの声がうるさすぎるせいか、だんだんと鳴き声があまり気にならなくなって、そんなふとした瞬間に、本当はうるさいはずなのに、妙にぽっかりとした静けさを感じたりもした。急に両耳を誰かにふさがれたような、そんな感じになる瞬間が大好きだった。僕はセミではなくて、そういう瞬間を捕まえに行っていたのかも知れない。
夕方になり、セミを捕って家に帰り、暗くなって庭で遊べなくなるくらい夜が更けても、まだ面白いことがあった。
夜になると、蚊取り線香を2つ、縁側の決められた場所に置く、という仕事があって、これが僕の任務になっていた。
いかに1本のマッチで両方の蚊取り線香に器用に火をつけるか、というのは、今のマリオの難易度の高いステージをクリアするよりも、よほど手に汗握る一発勝負のことであって、いつも真剣に取り組んだものだった。
2つ目の蚊取り線香に取りかかり、そこに火がつくかつかないか、くらいの時が一番の正念場で、早くつけないとマッチを持つ指先を火傷してしまうし、でも1本のマッチだけで2つの蚊取り線香に火をつけたくて、毎日頑張っていた。
そんなだから、「くにひこ、蚊取り線香に火をつけてきて」と言われるのが待ち遠しくて、仕方なかった。
もちろん、蚊取り線香の匂いも大好きで、あの匂いをかぐと、一生懸命に火をつけていた子供の頃を、嗅覚として思い出したりする。
他にも、面白いことはあった。
近所に、ユタカという本名なのか、近所の人がつけたあだ名なのか、よくわからない名前の人が住んでいて、このユタカのおっちゃんがたいそう変わり者で、お盆の頃になると決まって、「もうすぐ祭やな?祭はいつからや??」と興奮して夕方以降に近所を訪問して回る、ということをしていたからだ。
今なら考えられないことだけど、当時の家は、夜22時を過ぎて寝る時間が近づくまでは鍵なんてかけていなかったから、近所の家は晩御飯時にユタカのおっちゃんの訪問を突然受けることになるわけで、少なからず迷惑がられていた。
うちのおじいちゃんとか親とかなんかも当然面倒くさがって、「ユタカが来たら、くにひこが話をしに玄関に行くんや」と、僕に面倒を押し付けたりした。
でも僕は、舌足らずだけど妙に人懐っこいこのユタカのおっちゃんがなぜだか結構好きで、「祭いつや?」「もうすぐー」「もうすぐって、いつや?」「明日じゃないけど、じきにー」「そうか、それは楽しみやなぁ」という短いやり取りが楽しみだった。
その時は気づいていなかったけど、今思い出すと、祭が近づいてきた時には「祭の時期が近づいてきた」という感覚よりも、「ユタカのおっちゃんが、そろそろ来るはずや・・」と訪問を期待するような、少しわくわくしながら過ごしていたような気がする。
こういう仕事をしていると、子供達に「夏休みの頑張りで、その人の人間の価値が変わってくるんや」と言いつつ指導する毎日だけれど、ふと「僕の過ごした夏休みとは違うなぁ」と思ったりする。
僕の夏休みとは、蛇口をひねって水遊びしたり、中腰になったままバッタを追いかけたり、アシナガバチのいる危険な門を突破してのセミ捕りだったり、マッチと蚊取り線香の匂いだったり、ユタカのおっちゃんとの会話だったりするからだ。
もちろん、通っていたのは県内トップの学校だったから、それなりに難しいことを学んでいて、たくさん宿題も出ていたはずなんだけど、そういう学習面での記憶は夏休みの思い出としてはほとんど残っていない。
子供の頃は、夏休みが終わって、学校が始まる2学期になって肌寒くなり、東側に植えられている紅葉の葉っぱが少しずつ散るのを、夕方に学校から帰ってきて縁側から眺めていると、1日が終わるような1年が終わるような、それが同時に訪れるなんてすごく寂しいような、そんな気持ちになっていたものだけれど、今感じる僕の夏休みは、まだ8月を迎えてすらいないのに、それに似た気持ちなのだ。
授業中の合間に、「蚊がいなくなるスプレー」をプッシュするたびに、便利な世の中になったなぁ・・と思いつつも、僕の夏休みの匂いじゃないな・・と感じて、ちょっと寂しくなり、そんなちょっとした感傷をさっさと忘れるためにも、授業に戻る毎日なのだ。
(おわり)